「俺、同性愛者なんだよね」
ぽつりと落とされた告白に、ぽとりと口に運んでいた煮魚を取り落とした。
は?と向かいの相手を見上げると、『彼』はこちらをじっと、真意の読めない目で見ていた。
どうやら冗談ではないようで。
「…………」
長い沈黙。
俺は何を言うべきかいいあぐねていた。



いつもの講義の後、ざわついた食堂で食べる久しぶりの日替わりランチ。
そこへ、唐突な友人の予想もおっつかないカミングアウトがもたらされた。
「市岐」
その友人、高柳の低いバリトンが俺の名前を呼んだ。
「魚落ちたよ」
どんだけタイミングの外れた突っ込みなのかと。
だが、その言葉に金縛りが解けるかのように、俺の脳みそが回転し始めた。
「初めて聞いた」
どうやら本当のようなので、改めて「本当?」と聞くのは避けた。
ただ自分の驚きをストレートに伝えてみる。つか、それしか言えなかったわけなんだが…
俺の言葉に、高柳はちょっと噴き出すように笑った。
「そりゃね。市岐には初めて言ったからね」
「俺には、て、…知らなかったの俺だけ?」
他人の恋愛模様などに疎いことは自覚していた。いつもワンテンポ遅れて誰それが付き合い始めたという事実を知るタイプだった。
今回もそんなことだと思って聞き返したが、高柳は首を振った。
「市岐と山本だけだよ。そんな大公開できるわけねーじゃん」
あぁ、山本か、と俺は納得した。
そして、その後に続いた高柳の言葉には、「そういうもんか」と思いつつ、自分がさっき受けた衝撃を考えると確かに、とこちらも納得してしまった。
そこでふと。
「よく俺にも言えたな」
と口走っていた。
山本は分かる。あいつは器の大きい男だから相手が同性愛者だろうがなんだろうが、さっきの俺のように言い詰まったりはしなかったろう。
だけど、なぜ俺?
「市岐だからだろ。お前と山本には言えるって思ってた」
「はは、どの辺の判断だよ」
「俺の好みじゃないから」
あぁ、うん、すっげー納得。
「安心した?」と意地の悪い笑みを浮かべて、高柳が聞いてくるので、俺は今度こそ煮魚を口に放り込んで憮然と答えた。
「ビックリでそれどころじゃねーっつの」
そう言うと、高柳は今度は声を上げて笑った。



「あぁ、聞いたの?」
校舎屋上。青空に広げた傘を肩に預けて、俺は山本の背中を眺めた。くるりと振り返った山本は、口に煙草をくわえている。
「言ってくれた、だな」
山本の言葉を言いなおすと、彼は嬉しそうな笑みを浮かべた。
それが何とも照れくさくて、こいつには敵わんと諦観しながら、
「山本は何て返したの」
と尋ねた。逆光の中の山本が眉を寄せて困った顔をしたので、「聞いたときだよ」と付け加えた。
「あぁ、」と煙を吐いて、山本はえーとと思いだしながら歩いてきた。
「なんだったっけな………『そか』とかだった気がする」
やがて俺の横を通りすぎると、くるりと振り返った。そんなに眩しそうな顔をしていたのだろうか、と内省しつつ、俺はその山本の答え方が容易く想像できた。
山本はおそらく、今と変わらない笑顔で相手の告白を受け入れたのだろう。
やることが大雑把なくせして、いちいち大人なのだ。
「とらは?」
吸う?とタバコを差し出しながら、山本が「なんて?」と聞き返した。
いらない、と軽く押しかえして、俺は彼の質問に答えた。「びっくりした、て」
「はは、とららしいな」
煙草をしまいながら、山本にも笑われてしまった。二人とも失礼ではなかろうか。

初夏の乾いた風が吹いた。黒い傘越しに見える空は、雲ひとつ無いようだ。
昼間の高柳の言葉がリピートされる。
『そんな大公開できるわけねーじゃん』
できないのか、と。
やはり難しいのか、と。
「目ぇ回すよ」
仰いでいた空が、言葉とともに傘に覆われた。山本が上から傘を押し返したようだ。
ゴーグルを引っ張り出すのが面倒で、室内用の眼鏡だった。太陽が見えていたわけではなかったけど、昼間の空は明るすぎてちょっとクラクラした。
「俺がこっち側に来た意味がねーじゃんかよ」と、不満げに山本は呟いた。
こいつには言える。俺にもなぜだか言えたらしい。
他の人には…?
「同性愛者って、やっぱり世間的には難しいんかな」
「難しいだろ。そもそも結婚が認められてねーじゃん」
あ、と。そういえばそうだった。
その事実が、今、唐突に不思議に思えた。何で認められてないんだろう。
「あれ?結婚しちゃいけないんだっけ?」
「や、いけなくはねーだろ。ただ認可されないだけでしょ」
「なんでだろな」
「需要がねーんだよ。結婚申し込みに来る人がいないんだろ」
俺の疑問に、山本が間を置かずに回答した。
「結婚したくねーってこと?」
「そうじゃねーよ。一緒の籍を持ってた方が何かと便利だしね。
ただ、『役所に行っても厄介払いされるだけ』って思ってるから、名乗り出ないだけみたいだよ。
だから役所も動かない。つかそういう需要があることを知らないわけさ」
そうして、また彼らの(あるいは彼女らの)認識が厳しいままとなる。
覆せない世間の認識に、抵抗も諦めてしまっているのだ。
高柳も、そうだったのだろうか。そうなのだろうか。
そしてやはりふと、俺は山本を振り返った。
「お前、よく知ってるね」
すると、にやぁ、と山本は笑った。なんだその笑いは。
煙を空にふかせて、山本は答えた。

その答えに、俺は「だよね」と同意した。



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ほんの一部の事実の、クローズアップに過ぎませんが…