022. 木漏れ日と踊る少女




「“展開”!」

鋭い宣言が、ピスキニアンの少女の唇から発せられた。「“アウラ”!」
少女を囲む円形の領域から迸る様に金色の光の触手が溢れ、『異形』が放った火炎を飲み込んだ。
後衛補助。それがファセルゥラの立ち位置だった。
「わー…すごいね、あの子。ちゃんと正確に発動したよー?」
こそ、と葵が肩に座る俺に話しかけた。
言わんとしていることは分かる。ファセルゥラの魔法精度は、おそらくこのメンバーの中では最高度だろう。
魔法史研科、か。戦闘魔法科や治療科などの専門科に進んでいれば、正確無比のイグニドやサナスドを行使できるだろうに。
進まなかったのは、やはり召喚魔法コースがあったからだろうか。
「葵さんだって、ちゃんと魔法式と魔力操作ができればちゃんと思った通りに発動するはずだぞ」
「うーん…分かってるんだけどねぇ…?どうしても明後日の方向に走っちゃう時があるんだよねぇ…」
なんでかなぁ?などと首を傾げられてしまったが、そう問われても俺とて「なんでだろう?」と返すしかない。

「葵!隣の小さいのはほっといて、“ミスト”お願い!」
「え、えぇ…っ?見えなくなっちゃうよ?!」
「私もフィスも鼻が利くわ!」
「だ、大介は?!」
「頑張ってもらうっ」
わ、わぁぁ……
ルーディの無茶振りに、俺と葵の声が重なった。
「“ミスト”が掛かるなら、俺の出番はないな」
呑気な言い方で肩をすくめるのは千羽だ。
「獣型の『異形』は片づけたみたいだし、流しても良いんじゃないか?」
ミスト、とのんびりと千羽は迷う葵に声を掛けた。
彼の言う通り、今目の前で交戦している『異形』は上位生命体、平たく言ってしまうと脳みそが割と整っていて嗅覚よりは視覚頼りに生きてるような『異形』だ。二足歩行で、ヒトと呼ぶには若干抵抗があるが、ヒト型に分類されるだろう。
「…大介くんは感覚強化を掛けたみたい。大丈夫なんじゃないかしら」
戦況を見守っていたファセルゥラが小さく首をかしげるように言った。
「う、ん…じゃぁ、心おきなく…」
いつでも葵は全力だもんな。
葵が抱えていた樫の杖、『天空の追憶』を掲げる。
「“展開”!…“ミスト”!!」
葵の宣言と同時、湧くように広範囲に白い霧が立ち込めた。

ほどなくして、薄れてきた白い霧の中から、フィブリスとルーディ、そしてなぜか疲労困憊気味の大介が無事に姿を現した。



「ひさしぶりー、いっちゃーん」
数日前。ひょい、と中央校舎のエントランスに姿を現したのは、青髪ルーメペンナリアンのアッシュ。
「おお、アッシュ…!すげー久しぶりだなっ」
セルゥの依頼の情報を集めようと魔法式を練っていた俺は、久しぶりに見る旧友の顔についテンションが高くなる。
「相変わらずちっせーなぁ〜。風呂に落としたら一発で溺れそうだな」
「やめろ、実話を話すな…」
冗談だって、と笑うアッシュは、きっと俺が本気で桃にゃんこに溺死されかけているとは思いもしてないだろう。
アッシュは大きな白い羽を納めると、どさりとソファに座って足を組んだ。やや細身だが均整の取れた長身、へらっへらしてるが黙ってるとそれなりに見れる男だ。
「ここまで来たのは何か用があるんだろ?」
テーブルに寝そべって考えていた姿勢を起こして、俺はアッシュを見上げる。
「いっちゃんの顔見に来た、だけじゃダメか??」
「多忙の身のアッシュのお気軽な外出を5番目が許すとは思えないな。よってその理由はありえません」
「真面目に突っ込むなよ、もっと楽しくいこうぜ〜?」
ぺい、と長い指先で俺の頭を突くと、アッシュは「まぁいいや」と本当にどうでもよさそうに話を切り出した。
「いっちゃん、今コアトリクエ召喚しようとしてるんだって?
呼びだすときの媒介は揃ってるか?」
「それを今探そうとしてるんだよ。図書館の蔵書には記載が無いみたいでさ。
大樹の倉庫に接触したいんだけど、"引き金"って今誰が持ってるんだろう?」
「やっぱりか〜」
困ったように眉を寄せて、アッシュは笑った。
「いっちゃ〜ん、いくらいっちゃんでもあんまり直接倉庫に接触しちゃダメだろ。
"引き金"は今『べしゃり』が持ってるけど、いっちゃんだけのために取るわけにはいかないな」
「ぅえ〜頼むよ〜風の回廊の"引き金"だけ外してくれれば後はなんとかするからさ〜夢見る佳人だけでもいいよっ!」
「待て待て落ち着けって」
どーどー、と掌で俺の頭を押さえて、アッシュはため息をついた。
「だぁーめ。倉庫はそう簡単に直接触れるもんじゃねぇの。
代わりに、いっちゃんの愛しの蝙蝠くんからご伝言持ってきたから」
「えっ?!」
予想もしなかった名前が出てきて、俺は思わずアッシュの掌を押し返して彼を見た。
にやにやー、と笑ったアッシュの片手には、小さな紙片が。
「媒介と時間だってさ。場所も指定されてんぞ。気をつけろよ」
「うわ…ありがとな、アッシュ!!」
ぴら、と渡された紙片を礼を言って受け取り、俺は伝言に目を通した。
いくつかの媒介物と、召喚すべき時期や場所が明確に記されている。そして最後に、

『依頼のお仕事ご苦労様です。怪我しないように気をつけてほしいかな。
イキさん頑張ってね!』

「…マジ癒されるわ〜」
「…癒されるのは良いけど、ちゃんと用件読んどけよ?」
ほわんとしている俺に、アッシュが冷静にご指摘されました。おうよ。
「じゃ、俺はこれで。またな、いっちゃん」
よ、とソファから立ち上がると、バサリと翼を広げた。ごくろーさま、ありがと、と改めて礼を言って手を振ると、アッシュはへら、と笑ってエントランスから出て行った。
そこへ入れ違いに大介が入ってきて、俺とアッシュを交互に見る。
「…なんだ、新しいクエストか?」
「いや、知り合いだよ」
アッシュを知らない大介は首を傾げて、「見ない顔だな、何科の奴だ?」と尋ねるので、俺は簡潔に返した。「1番目」
「1番目?」
「"省身の波璃"」
一瞬、大介の時間が止まり、だだっ、と入口に駆け出したが、おそらくもうアッシュの姿は無いだろう。
「え、ほ、ま、マジ…で…?!」
あわあわと俺と入口を行ったり来たりする大介の目を、俺はニヤニヤと笑いながら眺めた。

"省身の波璃"…「汝自らを知れ」……
光を囲む七賢人の1番目。それがアッシュである。


そして今、フィブリス・千羽・大介・葵・ルーディ・ファセルゥラのメンバーで、アッシュのくれたメモの場所まで来ていた。
マネピスキスは南。熱帯の植物が生い茂る森は、その身を半分、コバルトブルーの海に晒している。
早朝。昨日の突発的な『異形』退治の依頼もあり、今日の出足は少し遅い。俺が部屋を出るときは葵と大介はもちろん寝ていたし、千羽はようやく起き始めているころだった。
特に疲れてもいない俺は、いつでもどこでも日課にしている朝の散歩に出た。人気のない朝の空気は好きなものの一つだ。
マネピスキスはこの間来たばかりではあったが、そのときは都市部にしか滞在しなかったので、こうした楽しげな森は久しぶりだった。
「…お?」
穏やかな波が、捻じれた木の根を優しく撫でている間を抜けると、ふと海風に乗って歌が聞こえた。
ひょいひょいと絡み合う木々を飛び越えて海岸近くまで行き…見つけたのはセルゥだ。
夜明けの海へ流れる歌声は、まるで波間を優雅に踊る様だ。
「精霊も歌い出しそうだな」
メロディが終わったところで、ぱちぱちと拍手をしてみると、セルゥは小さく笑って振り返った。
「あなたの歌はなんだかとても音が外れてそうだわ」
「うむ。君の直感は外れてはいないが、残念ながら俺は『識者』であって精霊ではない」
セルゥが、「あら」という顔をして俺を拾い上げようとしてくれるので、「女性の肩には乗れません」と制した。
「…目線が全く合わなくて疲れるのよ」と肩をすくめて、彼女は背の低い木々の枝にちょこんと腰かける。
「『識者』というのは精霊かと思ってたわ」
「七賢が精霊ではないように、『識者』も『識者』以上でも以下でもないものなのだよ」
「けれど生きている時間の流れは私たちとは別物でしょう?『識者』は世界の始めから終わりまで生きるものだと聞いたわ」
「ええと…そんなはずはありません…」
もはや生き物ではないだろそれ。
「知らないものには憶測だけが付いて回るものなのね」
ふうん、と淡白にセルゥは納得したようだ。
「そうだね、憶測…尾ひれが付くものだね、"歌鳥"召喚士様?」
「…あら。私にもそんな尾ひれが付いていたのかしら?」
セルゥの形のよい眉が僅かに上がった。
"歌鳥"とは、いわゆるセイレーンを指す。その歌声は天上の響き、聴く者の精神を惑わし、至上の極楽という抗うこと不可能の混乱を齎す。
召喚のランクにすれば、間違いなく上の上。今回のコアトリクエには及ばぬものの、学生が召喚に成功するレベルではない。
「それ、嘘よ」
さらりとセルゥは言い切った。
「私がよく歌ってるから、揶揄も込められたのかもしれないわね」
「評したんだろう。セルゥの歌を聞いてハイになった奴が居たんだろうな」
「ハイになるものを歌った覚えは無いけれど…」
むぅ、とセルゥは眉を寄せた。少し不本意のようだ。
「"履歴"を見てもここ数百年で誰かが"歌鳥"を召喚した記録が無いから、嘘だというのは知っていたのだがね」
「…そんなことまで分かるの?なんだかプライバシーというものが無さそうね、あなたにかかると」
「世界が筒抜けですよ、お嬢さん」
ぽんぽん、と背中に背負っている『連なる記憶』を叩いて笑ってみせると、セルゥは「変態ね」と肩をすくめた。
言葉こそ率直なものの、声には最初のころのような冷たさは無かった。案外サバサバしている性格なのかもしれない。
「しかしセルゥ、君がこれから召喚しようとしているコアトリクエは"歌鳥"の比ではないよ。
『識者』として質問するが、何故コアトリクエを召喚するのかね?」
「理由?そこにコアトリクエがあるから、ではいけないかしら?」
「…なんて漢な理由…」
いっそ清々しいまでに男らしい彼女に、俺はちょっと感動した。
「いやいや、その理由、個人的には全く好きなのだがね、その理由だけでは危険を伴う召喚にみんなを付き合わせられないのだよ。これは一個人としてだけど」
思わず感情だけで「おけ☆いってみよー!」などと言いそうだった衝動をなんとか堪えて、話を続ける。
それにセルゥは、やはり淡白に返した。
「そこまで付き合っていただく必要はないわ。媒介を一緒に探してくれればそこまでで」
後は一人でやるわ、と。
俺はぎょっとして彼女を見た。コアトリクエの召喚を一人で、だと?
「一体何が君をそこまで急きたてるのかね?家柄か?血か?」
「"私"よ」
間髪入れない返答に、俺が詰まった。
「家は関係ないわ。私が知りたいの。…どこまでが自分の限界なのかしら」
海の彼方を見つめるセルゥの目は、焦点を失っているように見えて、しかし一つ、明確な何かを見ているようだった。
なるほど、と俺は納得した。
彼女に感じていた冷たさはこれだったのだ。一つ、たった一つにしか向かない、けれどそれ故に凛として揺るがない、美しい意志。
「君の理由はよく分かった。俺も決断しよう」
『識者』として、そして…
「…助かるわ」
木漏れ日というには少し強い朝の光の中で、セルゥはほほ笑んだ。

それに自分が返したのは、やや後ろめたさを込めた、…苦笑。
 
 

アッシュさんが書けて満足なターンo゚★,。・:*:・☆゚ "