077. 水色の辿り着くところ





コアトリクエ召喚のクエストを結果オーライでクリアしてから数日後。
学校の祭事で同室の大介とトムが出払った室内のベッド際にあるランプの明かりのもとで図書館の本を広げていると、かたりと窓際から小さな音が聞こえた。
その懐かしい気配。
「こんばんわ、4番目」
「こんばんわ、『識者』さん。
4番目…ちょっと怒ってるかな?かな?」
窓から入る月光を受けて、一般的には禍々しいとされるだろう蝙蝠羽のシルエットの中で、紫の双眸が柔らかに細められる。
俺はよいしょとハードカバー仕様の本を閉じ、その上に座ってむん、と腕を組んだ。
「うむ!俺はちょっと怒っているよスウくん!というか七賢のみんなに!
どうして俺まで謀ったのかね!!」

つまりこういうことである。



「どうして私を謀ってくれたのかしら?」

ホームに戻ってきて「はぁやれやれ」とロビーに荷物を置いた瞬間に、くるりと振りかえったセルゥが唐突に斬り込んできた。
正直、それは俺が聞きたい。
だがしかし、おそらくかなりの正確さで事の全貌が自分には見えていた。
「結論を言ってしまえば…」
大介の荷物の上に座っていた俺に集まった視線をぐるりと見回すと、ほぼ全員がセルゥと同じ目をしていた。わーい、四面楚歌とはこれか。
内心ものすごいびびりながら、しかし体面は曲がりなりにも『識者』の名を背負う立場。
毅然を装ってセルゥに回答する。
「それが七賢の答えだったということだね」
「……つまり、私にはコアトリクエ召喚の力が無い、と?」
「端的に、まだ」
あのガチンコ精神を持つ彼女に上辺だけの飾りのような慰めは必要ないだろう。
「コアトリクエ召喚という事実の大きさを、おそらくここにいる全員は認識が無いと思われる。
あれはただの召喚神ではない。至上神の一人、と言ってもピンとは来ないだろう。
少なくとも、イラマテクトリ"ごとき"くらいは媒介無しで煎餅齧りながら召喚可能でないと彼女を召喚することは不可能だ」
「…どんな例えだ…」
ぼそりと大介が突っ込んだ。もちろん誇張表現ではあるが、それくらいの余裕は欲しいところだ。
「間違っても、己の精神力だけでゴリ押しなんてコアトリクエでは全く通用しない」
「それを、七賢というのは予測して謀ったということ?」
「君はおそらく、失敗というものをしてこなかったろう」
切り返すと、セルゥは何を、とばかりに眉を上げた。
「無いわ。いつもそれだけの準備をしてきたから。絶対に成功すると確信が持てるところまで来て初めて実行するもの」
「それは立派だな。しかし今回はそれを怠った」
更に切り返すと、セルゥは初めて怯む気配を見せた。それが何だか、妙に可愛らしいと思うのは多分自分がオヤジなんだと思う。
同時にものすごい申し訳なくて今にも土下座しそうだ。
「ルーディが言っていたね。今回はいつもの君らしくなかったと。
何かが君を焦らせた」
言ってから、セルゥの視線が険しく、俯いていることに気付いた。
「あ、ええと…別に責めてるわけじゃないぞ。その事情を聞きだそうとしてるんでもなくて…
ただ、きっと"いつも"の君だったら、"黎明のかけら"が媒介している時点でコアトリクエ召喚ではないことに気付いたはずだ。
一度失敗してから、君自身がイラマテクトリであると気づいたように。あの時点がもっと前倒しに来ていたはずだ」
ちらり、とセルゥの視線が上向いて、ちょっと安心する。
「人に聞いたことをそのまま信じるだけ。ではダメなんだ、それではいけないのだよ。
自分で思考し、模索する。そこへ他者が助力することはできる。しかし決定権があるのはいつも君自身しかいない。
それが召喚魔法というものだろう?」
頭を傾けて、セルゥの顔を覗き込むと、意外にも(いや、予想通り、か?)平然と彼女は見つめ返した。
「『まだ』未熟だ、というわけね」
「そう、『まだ』」
頷くと、セルゥはしばらく俺を見つめてから、ふぅと息をついた。
「七賢とは恐ろしくお節介であると分かったわ。もし会えることがあったら、「巨大なお世話」とよろしく伝えておいて」
「了解した」
彼女の物言いに、俺はちょっと噴いた。
セルゥはそれから、ぴ、と背筋を伸ばすと、あのときの凛とした声で宣言する。
「幾寅、あなたに権限を返上します」
ぱち、と小さくはじけた感覚だけが響いて、無事に自分に権限が戻ってきた。
「ありがとうな」
「こちらこそ」
小さくセルゥは笑った。それからぐるりとパーティのみんなを見渡して、
「今回は、本当にありがとう。また」
そう言って、くるりと踵を返して歩いて行った。

「……何か言うことは?」
しれ、と横でセルゥを見送った千羽が、彼女の姿が消えた後に尋ねてきた。
俺は一度高い高い天井を見上げてから、
「うぅわぁぁぁぁぁああぁぁぁぁ……」
ため息と声を上げながら、頭を抱え込んでしゃがみこんだ。
「マジなんだよ今の俺の言い草ぁ〜すげぇ偉そぉ〜誰だよてめぇ何様だよ女の子相手に何かましてんだよ俺はよぉ〜……」
思い返してもホントに何様だと突っ込みたい。
「はいはい、『識者』様だろ」
「それがあんたの立ち位置よ。諦めなさい」
「なんだ、まだそんなこと考えてんのかよ」
「だ、だいじょうぶだよー。きっとセルゥも分かってくれてるよ!」
呆れた大介は、容赦ないルーディは、何を今更のフィスは、唯一慰めてくれた葵は、そしてハハ…と人ごとのように(人ごとだけど!)笑う千羽と、今ここには居ない他のメンバーも。
俺のこの…決してみんなとは同位置ではない場所に立っていることをとても寛容に受け止めてくれている。
多分、きっと、青い目をした彼女も理解はしてくれるだろうと。


「単刀直入に聞くがね、あれはセルゥを謀るというよりも、俺を謀ったのではないかね?」
「うん。8割はそうかな、かな」
とても素直に蝙蝠くんは笑って頷いた。ま、負けちゃダメだ俺…!
「でも突き詰めていけば、謀ってはいないと思うかな。波璃は「コアトリクエ召喚に必要な媒介」だって一言でも言っていたかな?」
「………」
そう、詐欺みたいな話だが、アッシュはあのメモを渡すときには「蝙蝠くんからの伝言」と言っただけで「コアトリクエ召喚の」とは言っていない。
本当に詐欺みたいな話だが、俺が勝手に「コアトリクエ召喚の」と認識しただけだ。(思い返せば、アッシュは最後に忠告も付けてくれたわけだが…)
「か、会話は総合的に通った意味が正になるものだ。あの流れでどうして「コアトリクエ召喚」ではないと取れるのかね?」
「それは一般論であって、僕たち七賢とイキさんとでは通じない話かな。
僕たちは世界を調律することが役目。
世界はほんのささいなすれ違いで転がっていくものかな、かな」
そうして最後の最後に俺に事情を話すために差し向けたのがこの子とか…くそう、5番目…っ!あの金髪機精め…っ!!
むきゃーっ!!と叫びだしたいのを、なんとかクールな方向に持って行って、俺は大きく息をついた。
「つまり試された、てわけか」
「『識者』"見習いさん"を指導するのも、僕たちのお仕事かな」
くすりと笑うスウに、やや敗北感だ。いや、この子に"勝てた"試しなどあっただろうか。
「でもさすがに"付与"ではなくて"譲渡"だったときはびっくりしたかな。3番目と1番目はすっごく笑ってたけど、5番目は憤慨していたかな」
何を考えているのかしらっ!て、とスウは真似てみた。それが意外によく似ている。そして、
「…もし、あのときあの子が道を繋げられなかったら、イキさんはどうしていたのかな?」
ふと柔和な笑みをひそめて、スウが問いかけた。
俺は至極真面目に、至って真面目に、その問いかけに返す。
「権限を"譲渡"した以上、あの場で俺に何が出来るわけでもないから、進んで死地に赴いて覗いてるだろうスウを呼び出した」
間違えた、おびき出す。と訂正すると、一瞬キョトンとしたスウは次の瞬間に声を上げて笑った。
「あは、はは……それは…僕も行かないわけにはいかないかな、かな…!」

それなりに時間を生きている自分は、色々な局面での自分の限界というものを知っている。
無理だと判断した時はしれっとこだわりもなくその手段を捨てるくらいには、いわゆる「枯れている」のだろうと思う。
彼女のような勢いだけのゴリ押しなど、思いもつかない。が、しかし、俺はそれが決して嫌いではない。
その青さとか、情熱とか、笑っちゃうくらいの若さとか、そういう生きている時間の限られた中でしか持ちえない感傷が、自分にはとても眩しく見えた。

「しかしいずれ」
ようやく笑いの収まってきたスウに、俺は続けた。
「あの子はコアトリクエに辿り着くと思うよ」
あの深い水色の海原にも似た、太母のいる場所まで。
ふとスウは元の穏やかな笑みを浮かべて頷いた。
「そうだね…。だからこそ、今回僕らは見ていたのだから」
そう。コアトリクエを召喚しようとする者など腐るほどいる中で、なぜセルゥだけこのような詐欺まがいに掛けられるのかと言えば。
彼女にそれだけの素質と力があるからだ。なまじ呼び出しかねない…近い位置まで呼び出して失敗しかねない、という可能性を孕むからこそ。
七賢が関与していた。その向こうにある事実をセルゥもきっと理解しているだろう。
だからあえて、彼女に七賢の意思は説明しなかった。それは世界の暗黙のルールでもあるから。
そしてそれら全てを、あの仲間たちは理解してくれる。
「いい仲間に出会えたんだね」
何かを察してか、スウがほほ笑む。それに俺は何のためらいもなく頷くのだ。



翌日、一人のピスキニアンの少女が新たにパーティに加わった。
「これからよろしく」と、青い瞳を笑わせて。






召喚編:『水色の辿り着くところ』 終
 
 

召喚編完結です。ここまでお読みいただいてありがとうございました!
だいぶ始まりから終わりにかけて時間が空いてしまいましてすみませんでした・・・
しかしおそらく、こんな感じのペースでこれからも更新していくと思われます。ご了承いただけると大変助かります・・・!。
一人一人の元の設定をなるべく生かしていきたいなと思いつつ、完全に私の主観が入っているんだろうなぁと(汗)
好きすぎて見えなくなってるとか。とにかく愛は盲目なので。←これで逃げられるとでも

PC様を貸し出していただいているご友人の皆様、ご協力ありがとうございます!!
これからもどうぞ、またーりと暖かく見守っていただければ幸いです!(深々)