熱を出した俺の傍らに、育斗が座っている。
彼の顔を見たいのに、俺の視界は何故か育斗の口元辺りまでしか映してくれない。
ゆっくりと、育斗の冷たい右手が俺の頭を撫でて、その口が何かを喋る。
しかしその言葉を、俺は聞き取れない。
なのに、夢の中の俺はそれに頭を上下に動かすのだ。
それは夢に近い、いつかの記憶だった。
「いくちゃん?」
優しい声がして、俺の意識は一時的に浮上した。
父の静かな宣告の後、身の内のものに対する拒否反応からの熱が、ずっと俺の中にこもってしまったらしい。
ひどく曖昧な意識の中、幾度も同じ夢を見る合間。
育斗と同じ目が、柔らかな弧を描いて俺を見下ろしていた。
母さんだ。
「よく眠っていたわね。喉は乾いてない?お腹減ったかしら?」
さらりと、彼女の指が俺の髪を梳くように撫ぜた。
その感触に、とてつもない罪悪感が喉元までこみあげた。
曲がりなりにも…彼女の実の子を死なせた原因は、俺にもある。
そう、彼女と俺は、血のつながりがない。
この「家」は、外からは「普通のおうち」を装ってはいるが、内部はかなりの矛盾を孕んでいる。
俺が知る俺の『肉親』は、実姉の幾乃しかいない。
この母と、父は全く血の繋がりのない人間だ。『市岐』によって「俺の両親」と決められ、定められた人たちだ。
彼女たちの「息子」は、育斗のみなのである。
「…困ったわね、いくちゃん。ずっと熱が下がらないわね…
『ひとおに』さまは、ずいぶんとご機嫌斜めなのね」
くすりと、母さんが笑った。
それどころではないのに。育斗が死んだことに比べれば、こんな熱など塵にも値しないことであるというのに。
やわらかな母の手が、何度も髪を梳いていく。
この手は、俺を撫ぜるためのものではないのではないだろうか。
そんな疑問を、なぜ今さら持つのだろう……いや、なぜ今頃考えるのだろうか。
あまりに当然すぎる。
「……ごめ……」
「え?」
乾く喉から、一筋の呼吸を吐き出すように。
「………ごめん…なさ…」
「……」
い、とはもう音にはならなかった。
彼女は、潤んだ視界の向こうで表情を無くしたような眼差しで俺を見ていた。
伝わってないのだろう、彼女は記憶をなくしているのだから。
しかし俺にはそれしか言えなくて。
もう一度言おうと口を開きかけて…そっと、母の白い手が俺の瞼を覆った。
「悪い夢を」
それは、何かとても深い悲憤を含んだ声音だった。
「とても…悪い夢を……見ていたのよ…いくちゃん………」
と、震える声で、母はそう言った。
正直そのとき、なぜ母がこんな返事をするのか、愚かな自分は分かっていなかった。
「いい加減、その無駄な抵抗をよしなさい、いくちゃん」
「…………てめーは…どこぞの犯人か……」
「立場的にはいくちゃんのほうでしょ?」
ひどく冷静につっこまれて、あ、と自分の失言に気づいた。熱のせいだ、うん。
熱が下がっては上がりを繰り返してすでに1か月が経とうとしていた。
それはつまり、育斗の死から1か月、ということだ。
「とても無駄な時間を過ごしてきたわね、いくちゃん。無駄を越えて迷惑だわ。
今さら『ひとおに』を否定しようというの?馬鹿馬鹿しい。
たとえばでさえありえない話だけれど、あなたの身の内から『ひとおに』を追い出せるとして、そうしたところであなたに何が残るというの?
あなたの魔力の源が、『ひとおに』であることは知っているでしょう?育斗のように自身ではその力を持ってはいないでしょう?
認識を変えることね。
『あなた』がいるから『ひとおに』がいるのではないの。
『ひとおに』がいるから『あなた』がいるのよ、いくちゃん。
『ひとおに』を持たないあなたなんて、人並以下の足手まといという呼び方さえオコガマシイ生き物よ」
…………この先一生、この女には気を遣わないことを誓った。
唯一の『肉親』にここまでボロクソに言われてはいるが、俺はこの女に言い返す言葉を持ってはいなかった。
姉の言っていることは真実だったからだ。
「私は見つけるわよ」
決然と幾乃は言いきって、立ち上がった。
「育斗を殺した人間を」
彼女の眼は昏い光を灯していた。
彼女は―――――
育斗が死んでから、唇に微笑みを乗せることさえしなくなった。
「………」
立ち上がった姉を、俺は天井ごと見つめた。
お互いに、たった一人の肉親の目を見つめていた。
皮肉なことに、俺と姉にとって一番大事なものが、自分の血とは全く関係ない育斗であったのだ。
それでも繋がりあう血