そういうわけで、俺はあの赤毛ダークエルフに負けた代償にうさぎを殺してしまったわけだが、ここまで来るともう何度繰り返してもまた同じことをしでかしそうで
 あんまり解決方法が見えてこないのが正直なところだ。
 
 
 
 
 
 緊張が解けなくてか身体が硬直してしまってどうしようもないわけだが、幾分頭の方は落ち着いてきたようだ。
 考えてみても消えてしまったものというのは戻っては来るわけではないので、ここで頭を使うよりは足を使って外れて動かない腕をどうにかするために保健室とかメディカルセンターとか下宿先に戻る方がよいのではないかとも思うのだけど、そう、もっと、ね、先のことを考えなきゃね、いけない気がするんだ。
 
 これから起こるだろう、いくつもの取り返しのつかない傷からどうしたら大切なものを守れるのだろう。
 どうして今まで、自分は守ることが出来なかったのだろう。
 いつもいつも、自分は失敗をするのだ。大切な瞬間にいつも間違うのだ。
 選択肢はたくさんあった、そして俺はそれの全てにおいて選択可能であった。それでも、こうして一つの存在が消えたのは、何故だ?
 もっと冷静になれるはずだった。それができなかったのは?
 たやすく混乱に陥ってしまうのは、何故だ?
 
 機精を除く生命の原始的な形状は煮込まれたコーンスープであり、個はそこから這い出した塊であるという。
 その原始的な命を体内だか精神だかに内包する自分は、いつもそれに引き込まれそうになる。個であることが『世界』には当然であることなのに、自分の中ではそれはイレギュラーなことなんだ。
 『世界』と『俺』という相対的なものではない。
 『俺』が『俺』であるように、『市岐』もまた『市岐』の在り方というものがあるのだ。それは『俺』も『世界』も関係なく、確固としてあるべき形がある。
 その形が"良い"のか"悪い"のかなどは問題ではない。
 質問されていない質問の回答が出来てしまった。あるはずのない回答が出てしまった。
 
 あのうさぎは、前倒された命だったのだ。
 これから確実に同じ運命を辿るはずだった誰かの代わりに「前倒された」のだ。俺がその意味を知らなかったから。知らしめるためだけに、さっきそこの片隅で消えたのだ。
 これは幸いだったのだ、きっと幸いだったのだ、とても幸いなことだったのだ。なぜなら。
 あれは人の形をしていなかった!
 自分とそれにどれだけの命の違いがあるとでもいうのだろう。
 そう、そうだ、自分は、そもそも命のことなどどうでもいいのだ。
 自分にとって重要なのは、その存在が消えた原因が自分であるということだけだ。その命の責任に、自分が関わっていたということだ。
 それが一番、許せないことなのだ。
 そう考えることすら。

 あるべきものがあるべくように収まってないから、ちょっとの衝撃ですぐにバランスを崩す。引っ張り込まれる。そうして誰がどうであるのか分からなくなる。
 そうして、取り返しのつかない傷が付く。
 自分が自分であろうとするから。故意に不自然な形を作って、あがいて、引っ張られる腕を切り離すことも出来ず、無駄に自己主張をするから。
 
 
 たとえば…
 
 
 例えば、もしあのときその場にいたのが「俺」ではなかったら、うさぎは助かっていただろうか。もっと善い選択をしていただろうか。
 例えば、もしうさぎを預かっていたのが「俺」ではなかったら、うさぎを預かっていなかっただろうか。信頼だと浮かれて自分で世話などせず、しかるべき場所に預けただろうか。
 例えば、もし人殺しの術を教えて欲しいなんて言ったのが「俺」ではなかったら、何も誰も傷つく事なんて無かったんだろうか。
 フィスさんもたくちゃんもアルも父さんや母さんや智詩とか紗希とか姉ちゃんとか…そもそも、そんな考えなどしなかっただろうか。
 …例えば、もし多くの存在の中から浮かび上がってきたのが「俺」ではなかったら、弟は…
 
 
 何度も何度も考えたことじゃないか。そうして全て同じ答えに辿りつくじゃないか。
 『もっと美しくて優しいものが生まれるべきではなかったのか』なんてことは。
 
 
 だから、一番初めの目的があったのだろう。
 それはもう選択不可能になっているけれど、理由は同じことだったのだ。
 自分が自分であるために誰かが傷つくのだから、もうそんなことであれば決まって行く方向と言うものがある。
 
 自分が齎す幸せと痛みを天秤にかけてみたら明らかに後者が多いのだから、そんなことであれば。
 
 
 
 もう「俺」は「俺」で無い方がいいじゃないか。
 
 
 自我を通すことで大切なものが傷つくのなら。
 それ以上の最悪など。
 
 
 そしてこれが俺たちのあるべき形だというんだろう、市岐のクソ腐れども。
 
 
 
 
 

 『卑怯者の見た夢』


 
 
 
 
 
 
 そうして、白い生き物は俯いた頭をゆっくりと上げた。
 そこにはまだ流れ落ちるものがあったけれど、ぐいぐい、と拭ってしまえば水分は完全に無くなってしまった。
 き、と見上げる隻眼の視界には、濃紺の縁を暁に染め始めた空が映った。
 白い生き物は、少しだけむせた様な咳をして、とんとんと自分の胸を叩く。
 それからちらりと燻り終えた、うさぎだったものの黒い跡を見た。
 
 一度だけ、長めの瞬きをする。
 
 そうした後にはもう平坦な眼差しを乗せるだけで、その生き物はくるりと踵を返した。
 
 
 
 優しかった夜が明ける。
 






⇒つづくよ 

おはようございます