『しあわせな話』


小さい頃、体育の準備運動で「整列!きをつけ!休め!」の意味が分からなかったので、さほど学校には行かなかった。
体をほぐすのに、なぜ一糸乱れぬよう強制されるのか理解できなかったからだ。

学校の外ではいろんな人間がいて、いろんな話を僕にしてくれた。だから、僕はそのときの周りの子どもより、おおむね幅広い知識を持っていた。
彼らは最大でも5つ年上の人間としか、主に遊んだり話したりしないからだ。

そのうち、僕は学校と親に強制的に登校させられ、辛うじて高校まで進学してしまった。
どうやら親はまだ、いい学校を出ることがいい人生になると思っているようだったからだ。

しかし、その判断はあながち間違ってはいなかったのかもしれない。
いい大学は、それなりにいい所へ就職できるというシステムが、まだこの国には残っていたからだ。

僕はそのとき、昔会った人たちの話に聞いていた「国連職員」になろうと思っていた。
一年の半分は休みだし、移動手段は全てファーストクラスだからだ。

という理由で、僕はその目的のために入るべき大学を選び、そこに入学するための手段として予備校に通い詰めた。
今の時間の犠牲は、その目的が果たされた時点で大いに挽回しようと決めたからだ。

努力と言うか執念で勝ち取った合格は、次の目的への通過点でしかなかった。
僕の目標はそこではなかったからだ。

大学では目的達成のためのカリキュラムをひたすら取っていたが、息抜きとして教育学も取ってみた。
僕が将来、自分の子どもを育てるときの肥料になるかと思ったからだ。
……とりあえず、自立心の強い子に育てたいと思ったからだ。

大学を出てすぐには国連職員にはなれないことはわかっていたので、僕は外資系の会社に勤めてコネクションを作ったり、国連ボランティアに参加したりして、国連職員の席を狙った。
途中で挫折はしなかった。
高額の給料と半年の休暇という魅力と、高校の時の時間の浪費を埋めるという執念があったからだ。

その後無事国連職員のポストを得た僕は、職務以外でも海外に積極的に出かけた。
僕は人と会うのが好きだからだ。

人と人との繋がりは、巡り巡って自分の利潤に還ってくることを知っていたからだ。

やがて僕は一つの貧困国の事務所所長に就いた。そこには子どもが多くいるのに、学校が一つもなかった。
そこではそれどころではなかったからだ。

僕は職務として、そこの現状を調査、教育と福祉を充実する計画を立てた。
安定した生活の土台ができてこそ、安定した仕事に就けるからだ。
そして教育に力を入れない国に、未来はないと知っているからだ。

僕は国連職員を辞任して以降も、そこにとどまり続け、僕の無駄に多い資金でそこの農業を支援した。
彼らの生活基盤が農業によって支えられていたからだ。
……僕はそこで作られるトマトがとても好きだったからだ。

そうこうしているうちに、僕はそこの国のとある町の議員になってしまった。
少し口出しをしすぎたからだ。

そして僕は、孤児の多いその街に、ポケットマネーで孤児院を作った。
一人で何人も子どもを作るより、こちらのほうが多くの子どもを育てられると考えたからだ。
そろそろ老後が気になり始めてもいたからだ。

子どもたちと話しているうちに、彼らに職に対する知識が不足していることを知った僕は、昔得たコネクションを通じて彼らに「職」というものを教えた。
大いに活躍して、大いに僕に恩返しをしてくれればいいなと思ったからだ。

教育と福祉に力を入れたその国は、やがて多くの子どもを世界へと飛び立たせた。
僕の孤児院の子どもたちも、僕の支援のもと、各界へ活躍の舞台を広げていった。

その一方で、そうした職を知ってなお、自国にとどまり農業を営んでいくと決断した子どもたちもいて、僕はそれに大いに頷いて、彼らの決意を認めた。
……僕はそこで作られるトマトがとても好きだったからだ。

僕の財産はそのときすでに僕の命と同じくらいの量しかなくなってはいたけれど……
毎年、夢のようにできのいいトマトが僕の家に届けられ、僕は晩年までとても幸せに日々を過ごした。


そしていま、僕の命の終りに、僕の寝ている部屋から溢れんばかりの顔見知りが押し掛けていた。
僕が昔出会った人や、僕の孤児院の子どもたちや、それらから更に繋がりを広めた世界で出会った人々が、僕の最期を見届けに来てくれたからだ。

僕は長い時間をかけて、集まってくれた人の名前を一人ずつ呼んだ。
一人ひとりの思い出を振り返りたかったからだ。

彼らは目を真っ赤に腫らしていたけれど、口元にはささやかな笑みを浮かべていた。
僕が、僕の人生に対して納得と、充分な満足感を感じていたからだ。

国連職員になって得た富や、地位や、自由よりも、
あの赤いみずみずしいトマトと、今のこの彼らの微笑みが、僕には嬉しかった。
おそらくこれが、僕の人生を現した全てだったからだ。

とてもいい人生だった、と心中で締めて、僕は彼らに向かってお別れを述べた。
「それでは」
そして僕は、限りなく自分中心に歩いてきた人生の最期に、彼らに向かって笑いかけた。

最期の、この瞬間くらいは、自分ではなく純粋に彼らのために、彼らのこれからを祝福したかったからだ。


『しあわせな話』完

とある本を読んでの考えたこと